tabinokilog

ふじょしの渡世日記。主に旅の記録です。

2020年4月12日夜

 

 

 

 ポトフの煮えるのを待ちながら、この文を書いている。

 時刻は深夜十二時、ついさきほど、飲みものを買って戻ったところだ。家から数歩のところにある自動販売機で炭酸水を一本買い、買い置きの焼酎を割って飲むのが、ここ数日私の晩酌になっている。

 味けなくはあるが、新しく酒を買いに行くのも憚られる。流行の新型感染症から自分や社会を守るためには、あらゆる人間と2メートル以上の距離を取るのが望ましいそうだ。行政もそれを奨励している。そのために実店舗はばたばたと営業を休止し、代わってオンライン・ショッピングが人々の需要に応えている。今ごろ運送業者は殺人的な量の荷物に追われていることだろう。家の中にいると、郵便物をポストへ投函するやいなや、走って次の場所へ移動するらしい足音が聞こえる。うまい酒を飲みたいということのために負担を上積みするのは気がひける。

 アパートの外廊下から周囲をのぞく。見渡すかぎり無人である。人のいない町には、映画のセットのような不自然さがある。階段を下りて道へ出る。立ち止まって、あれ、と思った。目当ての自動販売機から明かりが消えている。

 止めたのだろう。商品を補充するにも人の手が要るから。それだけのことだ。分かってはいるのだが、沈黙する自動販売機が、なにかしら終末的な風景のように感じられる。

 別の自販機まで歩いていき、ポケットから小銭を出して入れる。残念ながら炭酸水はない。代わりにレモンスカッシュのペットボトルを買う。ポトフとは合わないだろうな、と思う。まあ、焼酎ソーダ割りだってそれほど合うわけではない。ボタンを押す私の手には、炊事用の、ピンク色のゴム手袋がはまっている。無人の道を引き返して部屋へ戻る。

 玄関ドアを閉めて鍵をかけ、まっすぐにキッチンへ向かう。スポンジへ食器用洗剤を含ませ、買ったばかりのペットボトルをごしごしと洗う。ゴム手袋も同様にすみずみまで洗う。洗剤が、エンベロープ、というウイルスの膜をこわして感染性を失わせるのだという。アルコールスプレーでもその用に足りるが、品薄で、次にいつ買えるかわからないから、洗えるものは洗うようにしている。十分に時間をかけて流水ですすぐ。

 ペットボトルから水気を拭って冷蔵庫へ入れる。玄関のノブや錠、それから鍵へアルコールスプレーをふきかけて拭う。

 こんな頃があったな、と、思える日のために書いている。

 

 

 

いつかクリスマスマーケットでホットワインを

 

  

 

 店を出ると冷たい風が身体をつつんだ。氷点下の夜だ。街は氷の粒を散らしたように光っている。

 とてもいい気分だった。ウォッカシャンパンの酔いが身体をあたため、口には焼きりんごの甘い味がのこっていた。このままホテルへ戻るのがなんとなく惜しかった。遠回りして散歩をしようと提案する。連れも二つ返事である。山盛りの風船を背負ったみたいに昂揚した気分で、ネフスキー・プロスペクトを西へ進む。

 途中、ジェドマロースたちに出会う。ロシア用の特別なサンタクロースだ。ジェドマロースはクリスマス・デコレーションのされたバスへ10人ばかり搭載され、ときおりざらりと歩道へ撒き出されては、歌ったり踊ったりしてひとびとの笑顔をさそった。ふだん着の青年が運転席に座り、ひとびとの様子を動画に撮っていた。

 とてもいい気分だった。どこから来て、どこへ行くのか、はっきり分かっていた。所与と能動がぴったりと一致していた。夢の中にだけあるような是非のない確信が私たちの行き先を決めていた。わたしたちはキャビア・バーから来て、ネフスキー・プロスペクトを通り、そして夜のクリスマス・マーケットへ向かうのだ。

 露天のいっぱい出ているアーケードを通りすぎ、金属探知機の(おそらくは人数をカウントしているだけの)ゲートをくぐって、広場へ入る。広場の中心には巨大なツリーが立っている。そのてっぺんから、LED製のリボンが幾筋も伸び、サーカスの天幕みたいに広場を覆っている。天幕の外の、出店をひやかして歩く。蜂蜜やサラミの類、木彫りのおみやげ品、ドイツやトルコ風の屋台が、次々に視界へあらわれる。マーケットはもうじき閉まるようで、どこか弛緩した空気がただよっている。連れは、ひときわ混んだ屋台のお菓子に目をつけた。

 長い列になるようで、あいだにホットワインを買いに出た。店の目星はつけてあった。花柄のスカーフをかぶった老女が、サモワールの中へホットワインを入れて売っているのだ。すばらしくロシアらしい。

 店の前へ立つと、老女は色のうすい目で私を見た。ドーブリーヴィーチェル、こんばんは、と挨拶をする。ワインをください。ふたつ、と言おうとして、ロシア語の2、が頭からすっぽ抜けているのに気がついた。付け焼き刃だから、そんなこともある。ヴィノー、パジャールスタ。アディン、アディン、1、1、と手で示すけれど、老女はカップをひとつだけ持って、ひとつか、というようなそぶりをしている。ニエット。いいえ。

 そのとき、天啓のように言葉が降ってきた。要は思い出しただけなのだが、私には光すら伴っているように感じられた。私はクリスマス・マーケットの中心でドゥヴァー! と叫んだ(控えめに)。ドゥヴァー、パジャールスタ。斯くして、300ルーブルと引き換えに、紙コップふたつぶんのホットワインが手にはいった。スパシーバ。スパシーバ。スパコイノイ、ノーチェ。

 空気は澄んで、よく冷えていた。友人は屋台の前で、自分のたのんだお菓子ができるのを待っていた。平打ちに伸ばしたパン生地を軸の上へ巻きつけて砂糖をまぶし、専用の器具へさしこんで、ローストチキンみたいにくるくるまわしながら焼くお菓子だ。サイズの小さいほうをたのんだところ、作りおきがなくて、時間がかかっていた。みんな大きいほうを頼むのだ。そういえば、ホットワインの値段表にも、いちばん大きいのは500ml、と書いてあったっけ。

 ホットワインをひとくち飲む。パン生地がするすると伸ばされ、巻きつけられ、じゃりじゃりした砂糖をまとって、回転をはじめる。くるくるとまわるうちにきつね色に焼けてくる。眺めていると飽きなかった。

 焼きあがったお菓子を手に出口へむかう。ひとくちかじらせてもらうと、お祭りの味がした。ホットワインを飲む。スパイスがふわりと香る。それから甘い、ジャムのようなにおい。暗い紫色の水面へ街の明かりがちらちらと映った。ホテルへ戻るのだ、と思った。まるで夢の中にいるみたいにはっきりしていた。そこには一片の疑いも、ためらいも、確信すらなかった。私は実に本物の道を踏んでいた。それはすばらしいリードを得て踊るようなことだった。ため息が出た。長い夜と壮麗な建築と可憐なイルミネーションの全部が白い大きな息に一瞬だけけぶり、それからまたもとの輪郭を取りもどした。

 

 

 

夜とはどんなものかしら

 

 

 長い夜というのは、いったいどんな気持ちがするものだろうと、ずっと考えていた。

 

 百人一首のなかに、長々し夜をひとりかも寝む、という一節がある。かも寝む、というのは、寝ることになるのだろうか、という意味だ。一人寝のさびしさを昼のあいだに憂える的な歌である。

 私は中学生のときにこれを習い、いまひとつグッとこなかった。あしびきの、やまどりのおの、しだりおの、という上の句が「ながい」という意味に収斂すると聞いて絶句したし、それにそもそも、秋の夜って長いのだろうか?

 もちろん、夏が終われば日暮れは早くなるけれど、私たちの生活は時計にそって動いていて、ふとんの中にいる時間が、秋だからといって増えたりはしない。夜とはだいたい21時から5時のあいだのことで日の出日の入りと関連しない。もう暗くなったからと言って18時からベッドにもぐりこんで煩悶できたりはしないのだ。電球も蛍光灯もLEDもなく、圧倒的な暗がりの中にちいさな灯をともして生きていた人々の感覚を、私はきっと理解できない。

 秋の夜長という美しい概念を理解できないまま私は成長し、「真冬のサンクトペテルブルク魚卵祭」を執り行うこととなった。参加人数は二人の非公式イベントである。ついてはサンクトペテルブルクの天気予報を検索し、日の出と日の入りの間がわずか6時間であることを知るに至った。

 そのとき、「長い夜」についての疑問がにわかに思い出された。18時間にもわたる雪国の夜。やまどりのおの、しだりおの、それまたしだってくだりおの夜が、もしかしたら長い夜というものを肌感覚でもって私に教えてくれるのではないだろうか。真冬のロシアの夜が、圧倒的な力でもって、私を打ちのめしてくれるのではないだろうか。

 

 そうして時は朝の8時、ところはサンクトペテルブルク、ひとりで散歩に出る機会があった。前日ロシアの食事を詰め込みすぎて胃をいわした私は早くからベッドへおさまっていた。それで一人、早くに目を覚ました。同行者はもう少し寝るというので、散歩へ出た。おみやげを買いそろえるという大義名分もあった。

 ヨーロッパ人は一般に、バカンスのとき寝坊がちだと聞く。閑散としたエレベーターホールからロビーへ抜け、愛想のいいドアマンに挨拶をして外へ出る。冷気が頬をこする。

 誰かの役に立つかもしれないから、このとき着ていたものを紹介する。下は五本指靴下、の上にヒートテックタイツ、更に厚手の靴下とジーンズ。上はヒートテックの上に薄手のセーター。そこへ膝下まである薄手のダウンとオーバーコートを重ね、ニット帽とふかふかの手袋もつける。帽子は耳の隠れるものを選ぶのがミソだ。おしゃれに耳を出しているとちぎれそうに冷える。ニット帽の上からコートのフードをかぶると更にあたたかい。それからしっかりと防水をした底の厚いブーツ。雪が降って靴や服に水がしみこむと激烈に冷える。撥水性、断熱性、耳隠れ性が耐寒装備のキモである。

 この重装備だから、寒さに触れるのは顔だけなのだが、どうしてか全身に力がこもる。ねえやめようよお、寒いよお、という気弱な声が体のどこかから発する。それをふり払って、まばらな人影の、早い足取りに加わる。

 車道は空いていて、塵に汚れた車たちが、ときどき夜の速度で往来する。それ以外は目にも耳にも静かなものだ。ホリデーシーズンの日曜日というのを差し引いても、8時、というふうではない。

 

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 暖かい明るい場所をあとにして、真っ暗な冬空の下を歩いていると、前進というだけのことが、かすかに破滅的なトーンを帯びる。破滅的な前進を脳が命じる。体は、寒さに緊張しながらもついてくる。気弱な弟みたいに。体ってかわいそうだな、と思う。自傷以外に主人をいさめるすべを持たないなんてね。

 

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 ネフスキー・プロスペクトを西へ向かってフォンタンカ川を越える。その流れも、街路と同じようにイルミネーションで飾られている。LED製の青白いつららが暗い水の上へ架かって、何小節分かの光る五線譜を川面へ落としている。

 今年は暖冬で、この川も、真冬には端から端まで凍りつくのが普通らしい。薄青くごつごつした氷の面や、人工の明かりがそこへ冴え冴えと反射するところを想像するけれど、上手くいかない。吐く息が白い。朝の気温は、マイナス3度だと聞いた。十分に寒い。東京の、つめたい真水をかきわけるような寒さとは、どこか質が違う。ごく細かい氷の粒が絶えず吹きつけて、知らず知らずのうちに研磨されているような、乾いた寒さが街を覆っている。

 スマートフォンをコートのポケットへしまい、手袋を着けなおす。外気へ触れたばかりの指が手袋の内側で冷えている。

 目を上げて暗い空を見れば、厚い雲が低く垂れこめている。この雲の厚さには想像を絶するものがある。飛行機で降下してみると、雲へ入って地上へ出るまでがうんざりするほど長くて、息苦しさすら感じるほどだ。ようやく針葉樹や畑の様子が見えてきたと思っても、ちぎれた雲のかけらがいくつも目の前を横切り、地上に降りてなお雲の中から逃れたと息をつくことができない。雲は官僚主義的に厚く密であり、共産主義的に太陽の恵みを徴発している。

 長く暗い夜を埋め合わせるように、あるいは、夜から目をそらすように、街路は金色のイルミネーションで飾られている。道ごとにデザインの異なる、可憐で洗練されたライトアップだ。丸の内仲通りのシャンパンゴールドの並木道だって、この街の冬を知ったあとでは凡庸に見えるかもしれない。夜というものを征服したいと希う熱量の違いだ。それから大きなクリスマスツリーが、そこかしこへ生えている。ロシアのクリスマスはニューイヤーの後にやってくるから、クリスマスツリーは年またぎで煌々と輝いている。

 

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 エリセーエフスキーの脇から路地へ入り、ひとけのないクリスマス・マーケットをながめる。イルミネーションは点灯したままだ。その華やかさもあいまって、子どもたちの歓声の余韻が、まだ辺りに反響しているような気がする。大通りへ戻って、さらに西へ。グリボエードフ運河にさしかかると、血の上の救世主教会が見える。人のいないすきに見物していこうかと道を曲がる。

 ……一本向こうの橋のふもとに、二人連れの男が立っている。大柄のすらっとした姿。どうも、まっすぐにこちらを見ているような気がして、鞄の中の財布が浅いところへ入っているのが突然気にかかった。仕方がない、昼間に来よう。断念して、来た道を引きかえす。

 その途端、すぐ脇にあるドアが開き、階段をのぼる靴音が聞こえた。さっと看板を見ると、半地下のバーのようである。(この街にはロンドンみたいな半地下がある。)こちらも男の二人連れだ。締めを終えて帰路につく従業員ならいいけれど、朝まで飲みたおした酔っ払いだとすれば、ちょっと警戒値を上げねばならない。彼らは出口のすぐそばで短い言葉を交わした。一方はしっかりした足取りで立ち去ったけれど、もう片方が店の前へ立ち尽くして動かない。緑色のビール瓶を手に、暗い川面を呆然とながめている。従業員と酔っ払いの合わせ技である。できるだけ小さくなってその前を通り過ぎると、彼は顔を上げて私の方を見、ロシア語で何か言った。足を早める。何と言ったのかはわからない。

 大通りへ出て、時計を見る。連れへ、1時間で部屋に戻ると約束していたから、もういい時間だろう。カザン大聖堂をかるく見物して来た道を引き返す。ネフスキー・プロスペクトを東へ歩きながら、とても朝の8時らしくはなかった路地の光景をぼんやりと思い返した。朝の8時、という感覚がぱきんと音を立てて割れた。朝はまだ来ていない。私はまだ、長い長い夜の一部にいるのだった。

 歩を進めるにつれ夜は群青色に明けていった。色濃く鮮やかなコバルトブルーがだんだんに彩度を増した。その空を背に、バロックロココや、あるいはギリシャ様式の立派な建物が、壮麗なライトアップを着けて胸をはる。金色のイルミネーションが魔法の門みたいに街路を照らしている。夜明けだ。誰かの指先にはさみこまれた煙草のけむりが、地面の近くへ投げやりなサインを残した。

 

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移動:空港からホテル

 

 

 空港を出ると、夜空が雪にかすんでいた。まっ白くて軽い粉雪が、暗い空の奥ふかくからざあっと、一面にふりそそいでいた。降りはじめたばかりらしく、地面や建造物やそこかしこに、まっさらな雪が薄く積もっている。

 その上へ足跡をつけながら、人の背を追って歩く。背の高い人の、迷いのない足取りを、私たちもできるだけきびきびと追う。ダークスーツの上へ腰までのコートだけをはおった、エレガントな後ろ姿。ロシア人らしい、色の薄い金髪が、街灯の明かりにさっと光った。

 その人は黒いBMWの中へ私たちを案内した。エンジンをかけると、運転席の計器類がふわりと発光し、音楽がはじまった。発進。空港の近くは、どこも似たような景色をしている。窓ガラスについた粉雪が溶けて水になり、流れずにとどまっている。街路の光を受けて一面のスワロフスキーみたいに光る。

 ホテルまでは40分か、50分かかる、と運転手が言った。抑揚のすくないなめらかな英語だ。彼の細い鼻梁や、きっちりと後ろへなでつけられた金髪と、とてもよく似合う喋りかただった。(後からわかることだけれど、ロシアの人の喋りかたは、平均的に平板だ。飛び出したり、めくれあがったり、一旦ぶうっとふくらんでからねじれたり、しない。そのぶん文章の力点がどこにあるかわかりにくく、ときどき変な聞き違いをしてしまうけれど、聞いていると、凍りついた湖面が地平線まで続くのを見るような、不思議と凪いだ気分になる。)

 市街は空港の北にあり、進むにつれ人出が増えてきた。ホテルの面しているまっすぐな大通り、ネフスキー・プロスペクトを、東から西へ突き進む。歩道は人々でごった返している。金曜日の夜なのだ。……真っ赤なウールのコートを着た妙齢の女性が、泣きながら車道へ手を突き出している。タクシーを止めたいのかもしれない。……ホテルの入り口近くへ数人の若者がたむろしている。けぶるような濃いまつげをきれいにカールさせた女性が、黒いラメ入りのミニスカートをはき、白い長い脚を見せびらかしている。分厚いコートを着込んだドアマンがその脚をものすごく凝視している。

 サンクトペテルブルクは街を挙げてライトアップされていた。バロックロココや、ときどきギリシャ様式の壮麗な建物が、壁一面に揃いの明かりをともして金色に輝いている。街灯と街灯のあいだへ横断幕のごとくわたされたイルミネーションは街路ごとにデザインを競っている。透徹した美意識で強権的にプロデュースされた街。こういう街の作られる時代は、もう来ないだろうな、と思う。

 街並みに溺れるようにしてホテルへ着く。ホテルロビーは広大だ。ただでさえ高い天井高を二階分ぶち抜いて吹き抜けにし、中二階の回廊からあでやかな大階段を下ろしている。階段の優美なアーチ以外はごく直線的にできており、ベージュと黒をベースにさまざまな差し色が詰め込まれているのだけれど、どうしてかおさまりがいい。シンプルで過剰で、洗練されている。しかし、空港までの道のりで見せつけられてきた街並みの、贅を尽くした壮麗さに比べると、いささかヌーベル・キュイジーヌ的粗食の感がある。美でもってこの街に伍していくのは大変だろう。

 サンクトペテルブルクの有無を言わさぬ美しさは、その成り立ちと実によくはまる。もともとは辺鄙な沼地でしかなかったこの土地へ、ピョートル大帝がひとつの街を作らせた。彼の見たパリやヴェネツィアが、街のデザインを形づくる豊かな源泉となった。美しい街と海洋国家への夢が北の土地へ花ひらいて人々に過酷な建築作業を課した。一万人とも言われる人々がそのために亡くなった。犠牲の血をたっぷりと吸い込んだ、豊かで残酷な都市。

 大階段のふもとにレセプションがある。チェックインの途中、二階のボールルームで催されていたパーティがはねたらしく、ピンヒールの靴音が視線を引く。振り向くと、真っ赤なミニドレスを着た女性が、正装の男性たちを引き連れ、大階段を下りてくるところだった。なめらかにウェーブした金髪。体の線のぴったりと出るドレス。ルージュとドレスの赤色に目を奪われる。

 そのとき、タクシーの窓から見た女性の、黒いラメ入りのミニスカートが、ふと脳裏をよぎった。薄着というのは、この街では贅なのだ。二重のコートでぴちぴちと着ぶくれた私はあらためて、迎えにきたドライバーの優雅さを思い知った。

 チェックインを終えるとウェルカムシャンパンが手渡された。ポーターが私たちの荷物を持って部屋へ向かった。私たちはちっともエレガントでなく着ぶくれて、フルートグラスだけを手に広大なロビーを横切った。サンクトペテルブルク。地球上で最も抽象的な作為的都市。ドストエフスキーの一節が頭を過ぎる。自分の足ですすんでいるはずなのに、乗り物へ乗せられているような気がする。この街のルールが私たちを運び始める。

 

 

 

 

移動:東京からサンクトペテルブルク

 

 

 近々サンクトペテルブルクへ行く人へ、有用な話をします。

 「S7 Airlines」を指定して、すいている日の東京-サンクト往復を検索すると、ビジネスクラスを片道使って20万円を余裕で切るすてきなチケットが買えます。10時間+2時間弱の乗り継ぎで、10時間の方、東京-モスクワ往復はJALの飛行機です。コードシェアってやつだ。
 往復ビジネスだと25万円台、エコノミーだと8万円台くらいかな。skyscannerがあなたを待っています。

 JALのモスクワ線は3/28まで成田-ドモジェドボ、3/29から羽田-シェレメチェボに変わります。その切り替わりのタイミングでこの運賃もなくなるようです。お時間の合う方は、ぜひ。

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このお値段。座席指定できないけど、S7の予約番号でJALHPからwebチェックインできます。


 有用な情報は終わりです。成田エクスプレス晩酌の様子を載せちゃうぞ。

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あなごめしでビール。


 成田は深夜便がないので、遅い時間の下り列車はすいてますね。仕事終わりに同行者と合流して、日航成田に前泊しました。90日前の早割にポイントを重ねがけしてツイン2名1室10600円。
 さすがに古めなのは否めませんが、清潔でサービスが丁寧で、お部屋も洗面室もだだっ広くてナイスでした。旅の前にスーツケース開き放題はありがたい。

 翌朝、ホテルのシャトルバスで成田へ行き、粛々とチェックイン。早めに荷物を受け取れる権、ラウンジ入場権を受領します。すてきなチケットのおかげです。このおねだんでこのサービスは搾取ですらあるかもしれません。

 

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ここからは搾取の様子をお届けします。

 JALの成田-モスクワ線は「SKY SUITE」っていうすてきなビジネスクラスシートを搭載しています。いわゆるフルフラット、真っ平らにできる席で、レベル100のネットカフェ個室という感じ。

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小売5000円くらいのワインが10時間フリーフローの空間。

 

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こういうおつまみ(おつまみではない)が支給されました。

 下段中央の、ベシャメルソースキャビアをのっけたやつ、これで永久に泡を飲んでいたかった……。

 

 ビジネスクラス体験についての感想。 

 席がよい、食事がよい、お酒がよい、のに加え、空港ラウンジが意外に刺さりました。空港内の飲食店でいいじゃないの、と思っていましたけど、「どこで何を食べようかなあ、席は空いているかなあ、空港の食べ物って高いよなあ」と考えなくて済むの、いいですね。独特の快楽でした。

 行くべきラウンジは指示されており、入ればビールは冷えたピルスナーが一種類、メニューを読むまでもなく軽食が並んでいる。我々はただ辿りつくだけでよい。回転するレコードをそうっと指先で止められるみたいなやすらかな快楽。旅先のホテルのラウンジで三食取る人はこういう心地よさを感じているのかな、と思いました。

 とは言え、長距離エコノミーに耐える体力のあるうちは、この差額を食事やホテルや次の旅につぎこんでいきたいかもなあと思った次第です。そもそも便利さというのは、旅の面白さと真逆の方向性を持つものかもしれません。もちろん、己のタフネスとマゾヒズムに応じて好きな位置を占めればよいのですが……。

 

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これは成田にとまってたANAのFLYING HONU。いきたいねえ、ハワイ。

 

  JALからの搾取を終えてモスクワへ。

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機窓からの空港、アライバルホールのツリー、EFES。

 この日は12月27日でしたが、ロシア正教のクリスマスは1月7日にあり、街中まだまだクリスマスまっただなかの様相。そういえばさっき、シャーロックが事件に興奮して「It's Christmas!」と口走っていたなあ。

 すてきなチケットのパワーでラウンジへ行き、EFESを飲みます。ロシアの空港なんだからロシアのビールを飲ませておくれでないかい、と思ったけど、そういう場所ではないのだなということが理解されてくる。

 EFESと一緒にたべた小鉢おいしかったな。じゃがいもにきのことなす(だったか?)の炒めたのを乗せて、サワークリームとパプリカパウダー。お惣菜っぽい材料なのに見た目華やかでパーティによさそう。

 

 ※そういえば、モスクワのドモジェドボ空港、アライバルロビーとチェックインカウンターが同じ階にあります。最初departureの順路だけ見てすぐ二階にあがってしまい、荷物をあずけたいのに行けども行けども保安検査場の入り口ばかりということになりました。四畳半神話体系かよ、と思った。

 

 モスクワ-サンクトペテルブルクはようやくのS7 Airlines便です。S7さん、すてきなチケットをありがとう。

 遅延を待つあいだのEFESがおいしく、おなかが満ちてしまっていたこともあり、機内食はパスしたいなあ、紅茶だけ飲みたいなあ、と所望したところ、このようにデザートプレートがやってきました。ありがとう。我々がこのチョコレートタルトをようやく半分食べる間に、隣のロシア人はメインとデザートを完食してテーブルを片付けるところまでいきました。飛行機は元気よく、ときに大胆に揺れました。すてきなチケットをありがとう。

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それにしても100分のフライトで2コース出すのすごくないか。

 上下左右に揺れながらサンクトペテルブルク着。荷物をひきとる。荷物がレーンをまわりはじめるまで20分くらいあった。

 

 到着ロビーへ出ると、ネームボードを抱えたハイヤーの運転手たちのあいだに、背伸びがちな青年がちらほらと混じっています。背後へまわると、後ろ手に花束を隠している様子。待ち人をさがして、自動ドアがひらくたびに伸びあがります。到着早々ロマンティック・ロシアをがつんと浴びせられた格好です。いいなあ。

 我々もホテルのお車をたのんでおりますので、お金の力で迎えにきてくれる人を手配することができますのことよ。さて我々の待ち人はどこかしらおほほ、とスーツケースをひきずってうろうろしましたが、いませんでした。あれ。フライト遅れたせいかな。でも大丈夫です。私には、こういうシーンでスムーズに合流できた経験が未だにありません。いつものことなので、大丈夫なんです。ああ、旅がはじまった感。

 

 *そういえば、Pulkovo Airportで日本円→ルーブルの両替ができると聞き、してみたかったのですが、到着ロビーには有人窓口が見当たらず。

 あとから調べると、有人の両替所は①国際線到着ターミナルの手荷物レーンそば、または②3階のチェックインフロア にあったそう。そりゃそうか。

 結局ネフスキー大通り沿いのCorinthia Hotelで両替。100EUR>>6500RUB。TTMレートが100EUR>>6900RUBの日に。