tabinokilog

ふじょしの渡世日記。主に旅の記録です。

夜とはどんなものかしら

 

 

 長い夜というのは、いったいどんな気持ちがするものだろうと、ずっと考えていた。

 

 百人一首のなかに、長々し夜をひとりかも寝む、という一節がある。かも寝む、というのは、寝ることになるのだろうか、という意味だ。一人寝のさびしさを昼のあいだに憂える的な歌である。

 私は中学生のときにこれを習い、いまひとつグッとこなかった。あしびきの、やまどりのおの、しだりおの、という上の句が「ながい」という意味に収斂すると聞いて絶句したし、それにそもそも、秋の夜って長いのだろうか?

 もちろん、夏が終われば日暮れは早くなるけれど、私たちの生活は時計にそって動いていて、ふとんの中にいる時間が、秋だからといって増えたりはしない。夜とはだいたい21時から5時のあいだのことで日の出日の入りと関連しない。もう暗くなったからと言って18時からベッドにもぐりこんで煩悶できたりはしないのだ。電球も蛍光灯もLEDもなく、圧倒的な暗がりの中にちいさな灯をともして生きていた人々の感覚を、私はきっと理解できない。

 秋の夜長という美しい概念を理解できないまま私は成長し、「真冬のサンクトペテルブルク魚卵祭」を執り行うこととなった。参加人数は二人の非公式イベントである。ついてはサンクトペテルブルクの天気予報を検索し、日の出と日の入りの間がわずか6時間であることを知るに至った。

 そのとき、「長い夜」についての疑問がにわかに思い出された。18時間にもわたる雪国の夜。やまどりのおの、しだりおの、それまたしだってくだりおの夜が、もしかしたら長い夜というものを肌感覚でもって私に教えてくれるのではないだろうか。真冬のロシアの夜が、圧倒的な力でもって、私を打ちのめしてくれるのではないだろうか。

 

 そうして時は朝の8時、ところはサンクトペテルブルク、ひとりで散歩に出る機会があった。前日ロシアの食事を詰め込みすぎて胃をいわした私は早くからベッドへおさまっていた。それで一人、早くに目を覚ました。同行者はもう少し寝るというので、散歩へ出た。おみやげを買いそろえるという大義名分もあった。

 ヨーロッパ人は一般に、バカンスのとき寝坊がちだと聞く。閑散としたエレベーターホールからロビーへ抜け、愛想のいいドアマンに挨拶をして外へ出る。冷気が頬をこする。

 誰かの役に立つかもしれないから、このとき着ていたものを紹介する。下は五本指靴下、の上にヒートテックタイツ、更に厚手の靴下とジーンズ。上はヒートテックの上に薄手のセーター。そこへ膝下まである薄手のダウンとオーバーコートを重ね、ニット帽とふかふかの手袋もつける。帽子は耳の隠れるものを選ぶのがミソだ。おしゃれに耳を出しているとちぎれそうに冷える。ニット帽の上からコートのフードをかぶると更にあたたかい。それからしっかりと防水をした底の厚いブーツ。雪が降って靴や服に水がしみこむと激烈に冷える。撥水性、断熱性、耳隠れ性が耐寒装備のキモである。

 この重装備だから、寒さに触れるのは顔だけなのだが、どうしてか全身に力がこもる。ねえやめようよお、寒いよお、という気弱な声が体のどこかから発する。それをふり払って、まばらな人影の、早い足取りに加わる。

 車道は空いていて、塵に汚れた車たちが、ときどき夜の速度で往来する。それ以外は目にも耳にも静かなものだ。ホリデーシーズンの日曜日というのを差し引いても、8時、というふうではない。

 

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 暖かい明るい場所をあとにして、真っ暗な冬空の下を歩いていると、前進というだけのことが、かすかに破滅的なトーンを帯びる。破滅的な前進を脳が命じる。体は、寒さに緊張しながらもついてくる。気弱な弟みたいに。体ってかわいそうだな、と思う。自傷以外に主人をいさめるすべを持たないなんてね。

 

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 ネフスキー・プロスペクトを西へ向かってフォンタンカ川を越える。その流れも、街路と同じようにイルミネーションで飾られている。LED製の青白いつららが暗い水の上へ架かって、何小節分かの光る五線譜を川面へ落としている。

 今年は暖冬で、この川も、真冬には端から端まで凍りつくのが普通らしい。薄青くごつごつした氷の面や、人工の明かりがそこへ冴え冴えと反射するところを想像するけれど、上手くいかない。吐く息が白い。朝の気温は、マイナス3度だと聞いた。十分に寒い。東京の、つめたい真水をかきわけるような寒さとは、どこか質が違う。ごく細かい氷の粒が絶えず吹きつけて、知らず知らずのうちに研磨されているような、乾いた寒さが街を覆っている。

 スマートフォンをコートのポケットへしまい、手袋を着けなおす。外気へ触れたばかりの指が手袋の内側で冷えている。

 目を上げて暗い空を見れば、厚い雲が低く垂れこめている。この雲の厚さには想像を絶するものがある。飛行機で降下してみると、雲へ入って地上へ出るまでがうんざりするほど長くて、息苦しさすら感じるほどだ。ようやく針葉樹や畑の様子が見えてきたと思っても、ちぎれた雲のかけらがいくつも目の前を横切り、地上に降りてなお雲の中から逃れたと息をつくことができない。雲は官僚主義的に厚く密であり、共産主義的に太陽の恵みを徴発している。

 長く暗い夜を埋め合わせるように、あるいは、夜から目をそらすように、街路は金色のイルミネーションで飾られている。道ごとにデザインの異なる、可憐で洗練されたライトアップだ。丸の内仲通りのシャンパンゴールドの並木道だって、この街の冬を知ったあとでは凡庸に見えるかもしれない。夜というものを征服したいと希う熱量の違いだ。それから大きなクリスマスツリーが、そこかしこへ生えている。ロシアのクリスマスはニューイヤーの後にやってくるから、クリスマスツリーは年またぎで煌々と輝いている。

 

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 エリセーエフスキーの脇から路地へ入り、ひとけのないクリスマス・マーケットをながめる。イルミネーションは点灯したままだ。その華やかさもあいまって、子どもたちの歓声の余韻が、まだ辺りに反響しているような気がする。大通りへ戻って、さらに西へ。グリボエードフ運河にさしかかると、血の上の救世主教会が見える。人のいないすきに見物していこうかと道を曲がる。

 ……一本向こうの橋のふもとに、二人連れの男が立っている。大柄のすらっとした姿。どうも、まっすぐにこちらを見ているような気がして、鞄の中の財布が浅いところへ入っているのが突然気にかかった。仕方がない、昼間に来よう。断念して、来た道を引きかえす。

 その途端、すぐ脇にあるドアが開き、階段をのぼる靴音が聞こえた。さっと看板を見ると、半地下のバーのようである。(この街にはロンドンみたいな半地下がある。)こちらも男の二人連れだ。締めを終えて帰路につく従業員ならいいけれど、朝まで飲みたおした酔っ払いだとすれば、ちょっと警戒値を上げねばならない。彼らは出口のすぐそばで短い言葉を交わした。一方はしっかりした足取りで立ち去ったけれど、もう片方が店の前へ立ち尽くして動かない。緑色のビール瓶を手に、暗い川面を呆然とながめている。従業員と酔っ払いの合わせ技である。できるだけ小さくなってその前を通り過ぎると、彼は顔を上げて私の方を見、ロシア語で何か言った。足を早める。何と言ったのかはわからない。

 大通りへ出て、時計を見る。連れへ、1時間で部屋に戻ると約束していたから、もういい時間だろう。カザン大聖堂をかるく見物して来た道を引き返す。ネフスキー・プロスペクトを東へ歩きながら、とても朝の8時らしくはなかった路地の光景をぼんやりと思い返した。朝の8時、という感覚がぱきんと音を立てて割れた。朝はまだ来ていない。私はまだ、長い長い夜の一部にいるのだった。

 歩を進めるにつれ夜は群青色に明けていった。色濃く鮮やかなコバルトブルーがだんだんに彩度を増した。その空を背に、バロックロココや、あるいはギリシャ様式の立派な建物が、壮麗なライトアップを着けて胸をはる。金色のイルミネーションが魔法の門みたいに街路を照らしている。夜明けだ。誰かの指先にはさみこまれた煙草のけむりが、地面の近くへ投げやりなサインを残した。

 

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