tabinokilog

ふじょしの渡世日記。主に旅の記録です。

ふきのとうを剥く(2020年4月14日夜)

 

 

 

 ふきのとうの花を買った。大小とりまぜて二十個ほどで、四百円弱。高いのか安いのか、買いつけないものは、どうもよくわからない。

 ワールドワイドウェブへ接続して食べ方を検索する。紙面や画面の上で見たことはあるが、手に持つのも、口へ入れるのも初めてだ。雪の下から顔をだすこと、新春の食物であること、その見た目、ほろ苦く、油に合うこと。チャパティや、シャシリクや、あるいはスターゲイザーパイと同じフィクショナルなレイヤーから、ふきのとうが下りてくる。こういう経験は好きだ。若返るような心地がある。

 子、曰く、汚れた葉があれば取り去るべし。残った葉はひまわりの花のようにひらき、片栗粉をはたいて、小麦粉と水の衣をつけて170-180度で揚げるべし。

 届いたふきのとうを見ると、いかにも可食部ではなさそうな、かたくしわのよった葉に覆われていた。形としてはほおずきの実にちかい。とがった先端がアスパラガスのように紫がかっていて美しい。さわると泥がついている。ははあ、これが「汚れた葉」だな、と思いながら、きのこの泥を拭うようにして剥いていく。完全に閉じた形ではないから、泥は奥の方にまでしつこく達している。

 果たしてどこまで剥けばいいのか、と不承不承剥いたところへ正解が顔を出した。世間ずれのしていない、やわらかい、黄緑色の小さな葉が、可食部と呼ぶには悲しすぎるような形で花を覆っていた。

 やわい、幼い、透きとおるような葉を、ワールドワイドウェブ(の向こうでこちこちと書いている冨田ただすけ)の言うとおりに、花から剥がして、折りこむようにひらく。花のつけねのかたそうなところを切り落とし、粉をつけ、衣をまとわせ、熱した油の中へしずませる。やわらかな葉が熱と気流を受けて反りかえりながら開いていく。ああうつくしいな、と思う。蓮のようだな、とも思う。

 爾して、揚げたてのふきのとうを酔鯨でやった。ほろ苦くて油と合って春の味がした。若い女のような味だと思った。

 食べ終わって台所へ戻るとさきほど剥いた非可食部の葉がうすみどり色に山のように折り重なっていた。わずかに紫がかった先端へしつこく泥が絡みついて、それは花が散ったあとの地面に似ていた。