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ふじょしの渡世日記。主に旅の記録です。

最後の光線

 


 金沢21世紀美術館に、「雲を測る男」というブロンズ像がある。小ぶりな脚立の上へ立った男が、1メートルほどの定規を空へあてがうように掲げている、という姿だ。
 像は美術館の屋根の上へ据えられており、私たちはふと顔を上げたおりに、彼を発見することになる。たぶん、ちょっとしたおかしみを感じるはずだ。どこまでも高い空を前に、像はやきもきするほどちっぽけで、定規はつまようじのように頼りない。かと思うと、心の奥の方から、厳粛な気持ちがじわっとわいてくる。決して笑われるべきものではないのだ。空へ向かってめいっぱいに伸ばされた背筋や、空へ注がれているだろう真剣なまなざしから、そのことが伝わってくる。

 

 旅は徒歩に尽きる、と思っている。
 バスもいい。鈍行列車もいい。新幹線や飛行機は、まあ、便利なので使うけれど、お金と時間に制限がないのなら、周りの景色を目で追える程度の速度で移動したい。徒歩は一番遅いし、好きな時に立ち止まれるから好きだ。
 それで、目的地に着くと、とにかく歩きまわる。バチッとよそゆきの顔をした観光地より、民家や神社や、飲食店のメニューやのぼり、スーパーマーケットの生鮮食品売り場を眺めている方が、どうしてか、旅をしているなという気がする。
 年を取るごとに貧乏性になってきて、旅先でゆっくりしていられない。主要な観光地はちらっとでも見ておきたいし、美術館にも行きたい、飲食店もまわりたい。そうすると、体力の続く限り歩く、ということになる。
 疲れきった足をなだめすかしてホテルへ戻るのはそれなりにみじめな体験である。敗走の感すらある。もっと余裕のある過ごし方をしていれば見逃さなかったものもあるだろうと、そう思われてくる。
 一方で、言い訳のように、どんなものに出会ったかというのは旅の一面に過ぎない、とも考える。私を朝早くに叩き起こし、何時間も歩きまわらせているのは、きっとお寿司の美味さでも、九谷焼でも、21世紀美術館でもない。両目に映る景色から、地面を踏む振動からしみこんでくる、漠然とした街の実感のようなもの。それは、旅の中にしか得られない栄養だ。
 定規をかかげて雲を測るように、自前の足と歩幅というスケールを見知らぬ街へ当てがうのが、旅ということなのかもしれない。

 

 最終日、内灘海岸を訪れた。夕日を見るためだ。
 個人的なことで恐縮だが、2月に旅行へ行ったおり、ある家族と知り合った。これから海辺の街へ行くところで、よければ一緒に行かないかと誘ってもらったのだが、結局断ってしまった。私は人付き合いが苦手だし、前日までの強行軍でくたびれてもいた。一方で、残念だなと思ってもいた。彼らの行き先は西側を海に面した街だった。きっときれいな夕日が見えたはずだ。関東在住の私にとって、海に沈む夕日というのは、なかなか見る機会がない。
 そのことが頭にひっかかっていて、海へ行きたくなった。金沢駅から最寄りの内灘駅まで北陸鉄道で15分、駅から海岸まで歩いて15分。
 自動改札機はICカード専用で、買った切符を見せながらホームへ入り、電車に乗った。二両編成だ。ロングシートには制服姿の子どもや、買い物袋をふくらませた老人がぽつぽつと座っている。
 座ると、程なく列車は走り出した。上下にぽんぽんと揺れる面白い乗り心地の列車だが、子どもたちは慣れたもので、通学用のリュックに頭をもたせて眠っている。私もリュックへあごを乗せてうとうとする。ときどき目を開けると、小さな田んぼや家々の姿が、窓の外へ現れては消える。
 駅から海までのまっすぐな道を、ゆるやかにのぼってくだる。足を踏み出すたび、疲れているな、と思う。朝、かけた覚えのないアラームが鳴って寝不足だし、もう三時間は歩いている上、昼食を食べそこねている。こんな状態で海を見たところで、無感動に行き過ぎていくだけではないのかと思う。どうして歩いているんだろう、と思う。金沢駅の近くでソファのあるカフェにでも入って、体力を養って、それから昨日見つけた美味しいお店を再訪して、確実にうまいものを食べ、素直に酔っ払って帰途につく。そういう選択肢もあったはずだ。
 まっすぐな道の向こうに青い海が少しばかり見えた。海岸と街の間にある高架の自動車道が視界を遮っているのだ。太陽は高い。高架の向こうへいくためにトンネルをくぐろうとすると、入り口に工事中のフェンスが立てられていた。砂が住宅地へ入り込まないようにするための工事、とある。そういえば道端に砂だまりがあって、ひょろひょろした植物が生えていたな、と思い出す。海水浴のシーズンでもないから、工事にはいい時期なのだろう。
 仕方なく来た道を引き返し、また別のトンネルを目指す。リュックサックと背中のあいだに熱がたまって暑い。機械的に歩く。そのトンネルは海につながっているのかどうか、まだわからない。

 

 観光地のスタンプラリーみたいな旅行を、小さな頃から馬鹿にしていた。
 バスに詰め込まれて長いこと移動をし、たった数十分、混みあった観光地に放牧されては収集され、しまいには建造物を車窓から見学させられることに、どんな喜びがあるのだろうと疑問だった。お仕着せのレストランや土産物屋をしか訪れることができないなら、自宅でガイドブックを読んでいる方がまだましだ。
 ひとつの気に入った土地に長く過ごし、好きなだけ眠り、美味しいものを食べ、気に入りの散歩道を作り、他愛のない発見をし、その街へ親しむことが、旅の本質だと思っていた。
 30才を越した頃からだろうか、私の旅は、そのような優雅さをじわじわと失っている。ガイドブックをひらき、トリップアドバイザーで旅行記を読みあさり、地図の上へ点を打ってスケジュールを組む。朝早く起き、スケジュールをタスクリストみたいに消化していく。美術館や観光地の脇を見ないまま通り過ぎるときには、ほとんど恐怖のような感覚がある。
 なぜか。
 見当はついている。艶を失っていく髪や、たるんでいく肌や、さまざまな老いの気配が、私に教えてくるからだ。
 人生は無限ではない。
 今、見なかったものを、たぶん見ないまま死んでいく。

 

 たどりついたトンネルは運良く開いていた。トンネルを抜けると砂浜があって、しかし海まではまだ遠かった。見たこともないほど広い砂浜だった。足跡はほとんどない。そのかわり、太いタイヤの跡が縦横無尽に走っている。
 見回すと、トンネルのわきへ「人のいる場所で危険な運転をしてはいけない」という趣旨の看板が立っていた。丘陵へ無理やり乗り上げたような、太いタイヤの跡も見られる。そういう遊びの場所になっているのだろう。それが理由かはわからないが、見渡す限り、人の姿がない。一瞬、四輪駆動の車に追われて砂浜でスッ転ぶ自分の姿が思い浮かぶ。
 しかしまあ、今のところは車の気配もない。波打ち際まで歩き、リュックを下ろして、道すがら買ったパンを食べる。そのあと本を読んで日が沈むのを待つ。ときどき視線を上げて海の青さに目を休め、太陽の高さを確かめる。絵面としては優雅だが、眠いし、疲れていて、ぼんやりして、なかなか内容が頭に入らない。いっそ砂の上へ仰向けになって眠りたいくらいだ。
 日没まであと一時間というところで、一台の車が砂浜へ乗り入れてきた。続けて、もう一台。離れた場所へ止まる。夕日を見に来たのだろうとは思うが、私の頭には看板の注意書きと、足元から数十センチのところにあるタイヤ痕のことが浮かんでいる。また、四輪駆動車に追われてスッ転ぶ自分の姿を思い浮かべる。波打ち際にべったりと転んで、冷たい海水が濡れた体の下をざああっと引いていく感触を想像する。日の高いときよりも寒くなってきて、空想が余計ミゼラブルになる。
 一旦、砂浜を後にして、近くのスーパーで買い物をした。それからトンネルの入り口に戻ってそーっと砂浜を覗いた。車はどれも西を向いて、点々と浜に停車している。曲乗りは始まっていない。ようやくほっとして、しかし念には念を入れて、広い砂浜の、出口へ近い方へ腰を下ろす。そうしていると、自分の矮小さに笑えてくる。
 旅というのが自分の歩幅で街を測ることだとすれば、しかし街の方も、彼らのスケールで私を測ってくる。どのトンネルが浜へつながるのか、夕方にこの浜へ座っていても安全なのか、私にはわからない。慣れや効率から離れた身ひとつの自分の大きさが、ほとんどの場合は小ささとして、はっきりと暴かれる。そうして身ひとつになった自分と協議を重ねながら先へ進む。目に入るものを眺め、歩ける限りの道を歩き、眠って起きてまた見ることを繰り返す。

 

 夕焼け空。
 赤く溶けたガラスのような太陽を中心に、とき色から金色へとうつり変わっていく光が、だんだんに薄まり、やがて空の青と混じりあってその色を手放していく。
 夕暮れどきには雲が出ている方がいい。平凡な雲のきれはしに眩い縁取りがつき、紅や金粉を刷かれていくさまは、幸福な物語のひとつの類型のように思える。
 赤い日がしずしずと、不可逆的に落ちていく。海辺の松を、堤防を、眩しく燃焼させながら、ゆっくりと沈んでいく。気が遠くなるほど長い間、ひたひたと繰り返されてきた日暮れのうちのたった一回を、人生のうちのたった二時間だけこの海岸を訪れた矮小な私が見ている。
 太陽の最後の光線が地平線の向こうへ消える。
 思わず、おーい、と声をかけたくなる。
 でももう会うことはないだろう。

 

 砂浜から立ち上がってふと、両足に違和感があった。
 痛くないのである。
 痛い、のではなく、痛くない。
 くたびれきっていたはずの両足が、温泉につかったあとのように温かく、ふっくらとして感じられる。試しに力をこめると、かすかに痛いような心地よい感覚が返る。なぜだろう。砂浜のやわらかさが、いい具合に筋肉を休ませてくれたのだろうか。それともまさか、これがランナーズ・ハイというものだろうか。歩きまわって疲れたというだけで、私の脳はエンドルフィンを分泌してくれたのだろうか。
 何にせよ、ありがたい変化だった。これから駅まで上り道を歩くのだ。ふしぎな再生を経た足で砂浜を出て、なんだか励まされたような気分になる。またこういう、歩いて歩いて歩き潰すような旅に出るだろうなと思う。そうして海を振り返り、振り返り、出ていく。深い紺色をした夜のとばりが、姿のない太陽を追いかけるように下りていくのを見る。

 

 

 

揺れる

 

 

 ひがし茶屋街のすぐそばに川がある。目当ての寿司屋が開くまで散歩でもしようと、川沿いの遊歩道に続く階段を上っていると、なにやら靄のようなものが見えてきた。羽虫の群れである。東京で見るような頼りない蚊柱とはスケールが違う。人間を三人は包み込めそうな蚊柱が、ぼわあっと立ちのぼっているのである。ひとつではない。ふたつ、みっつ……。はぐれてくる羽虫だけでも、虫の嫌いな人なら悲鳴をあげる量だ。
 虫の得意な方ではないが、ふしぎなもので、ここまでの量を目にしてしまうと、もはや諦めの念がわいてくる。青い水面と紅葉を眺めながら、おそらく何匹かの羽虫を髪の毛へもぐりこませて、上流に向かって歩く。
 途中、渡った橋の欄干に、蜘蛛の巣がいくつか張っていた。案の定、羽虫は潤沢にひっかかり、風が吹くたびにぴらぴらと揺れている。どの巣にも蜘蛛の姿はない。食事どきに戻ってきて、端から食べてゆくのだろうか。格好の狩場のようだが、昼間には人間が巣をはらうから、夜まで食事を待たなければならないし、巣も頻繁に張り直す必要がある。骨の折れる狩場でもあるだろう。
 そう上手い話はないものだ、と考えながら寿司屋へ行き、人間の幸福を心ゆくまで味わった。

 

 

 21世紀美術館で、「スケールス」という展示を見た。全部で6つの展示室があり、どの部屋でも豊かな気分を味わえるが、中でも「階段」が気に入った。
(ス・ドホ「階段」 http://jmapps.ne.jp/kanazawa21/det.html?data_id=232
 赤い、チュールのような半透明の布地を面とし、かがり糸を辺として作られた、細い、宙に浮かぶ階段である。小さな電灯やスイッチまで丹念に作られている。
 布とかがり糸で作られた線はうらうらと揺れ、でこぼこのある紙へ赤鉛筆で描いた絵のようである。スケッチの中を三次元的に探検するような、愛おしい展示だった。

 

 

 金沢に着いて一時間ほど、関東の知らない街(たとえば越谷とか)を歩いているような気がして困った。頭の中に日本地図を思い浮かべ、グーグルマップの黄色い人を関東あたりへ持ち上げ、つまんで移動させ、ひゅうう、と金沢に落とす想像をする。目を開く。……それでもやっぱり、遠くへ来たという気がしない。
 しないながら、ずんずんと歩く。紅葉の盛りを少し過ぎた頃で、木々は赤や黄色に景気よく染まり、気前よく葉を落としている。遠足だろうか、子どもたちの一団が道を歩いている。少し遅れて歩く男の子が、自分の頭ほどもあるモミジバフウの落ち葉をぷらぷらと揺らしている。
 それにしても、いい天気だった。気温としてはじゅうぶん寒いのだが、日差しが強くて、今は上着を脱ぎたくなるほどだ。お堀も青空を映して真っ青に染まっている。堀の先には金沢城公園があり、もくもくと茂った木々が華やかに色づいている。子どもたちの群れを追い越したあと、見渡す限り人の姿がない。人のいない景色って夢みたいだと思う。見たことはないけれど、天国みたいだな、とも思う。
 ふと思いついてマスクをずらすと、清冽な空気が喉を通りぬけた。そうすると「遠いところへ来た」という実感がいっぺんにわいてきた。天国のように見えていた木々の群れの、その下を歩きたいと思った。
 交差点へさしかかると、さすがにちらほらと人の姿がある。マスクを引き上げながら、その土地の空気を吸うことも旅の一部だったのだ、と感じる。

 

 

金沢ハマダ旅におけるTIPS

 

 


 十一月中旬に、金沢へ二泊した。無論、ハマダの旅を心がけてきた。離れて、マスクで、黙りこくって、である。生粋の陰キャである私には、新しい様式でも何でもない、慣れた旅のかたちだ。
 そんな旅行の何が楽しいのか、と聞かれることがあり、いつも何を伝えていいかわからない。
 一人旅には、より純化された、旅そのものの楽しみがある。誰かと旅を共にすれば共感や興奮にたやすくかき消されてしまう、淡く、しかし深い楽しみだ。料理の中間生成物としてのブイヨンやお出汁を塩気なしでそのまま吸う的なことである。
 なんてことを心のままに答えると、相手の目がちょっと冷たくなって「まあね、人と旅行すると、色々気を使わなきゃいけないもんね。ノイズといえばノイズか」という反応が返ってきたりする。それで初めて、以前旅行をして気まずくなった相手だということを思い出し、冷や汗をかいたりもする。会話って難しい。
 しかし、一人旅の楽しみは、何もノイズが少ないというだけのことではない。金色に澄んだお出汁をすうっと口に含むことには、オイスターソースやマヨネーズとは別種の喜びがある。

 

 以下、有用と思われるTIPSを書き出した。他の記事は私の日記であり、有益な情報はなにひとつ含まれていない。

 

・東京ー金沢の新幹線
「かがやき」「はくたか」があり、「かがやき」は停車駅が少ないためそのぶん速い。普通車の座席は2ー3の配列になっており、ソーシャルディスタンス的には3の窓側が鉄板と思われる。全席に電源があり、最高。東海道新幹線には見習ってほしい。
ハマダ旅的には飲食はしないか、人のすくないときを狙って食べるのがよいのではないかと感じた。

 

・ホテル(ホテルマイステイズ金沢プレミア)
金沢のホテルは香林坊(メイン観光地近く)または駅近くに集中しているのだが、結論、香林坊近くをお勧めする。観光地が徒歩30分圏内にまとまっているという猛烈な利点が駅近ホテルを選ぶことにより激減する。駅近はビジネス客向けであろう。
マイステイズ~は駅近くにあるビジネスホテルで、全室スイートタイプの30平米↑、でかいベッドがズドンと鎮座している日本っぽくないホテルである。海外旅行感を求めてこのホテルを選び、堪能したが、気になる点もあった。
・いい耳栓を持参されることをお勧めする。エレベーター横の部屋だったが、「下へ参ります」の音声が部屋からはっきり聞き取れた。ビジネスユースの一人客向けなのだろう。
・ベッドサイドにある時計、アラームのオンオフつまみが本体の裏側にある。止め方がわからず絶望的な気分になった。
それと、二泊したが、チェックアウト日だけ朝6時にアラームが鳴った。事前に同様の口コミを見ていたので「これか……!」と思ったが、チェックアウト日だけアラームが鳴るよう設定しているとすると、芸の細かさに震えてしまう。もう一回泊まって検証してみたいものである。

 

・観光パス系
サムライパスポート(1000円/2日)とバス1日乗車券(600円)を買ったが、個人的にはどちらも不要だった。
金沢の文化施設は入場料が爆安なので四施設まわっても元が取れない可能性がある。よく比べたい。兼六園鈴木大拙館に入り浸るには便利。
バスは3回乗ってようやく同額、そもそもハマダ旅的には密でやな感じであった。一人旅の時代であり、徒歩の時代でもある。

 

21世紀美術館(のプール)
施設オープンの9時~展示オープンの10時の間、チケットカウンター列あたり、(ガラス越しではあるものの)無人のプールを撮影可。
美術館に限らず、どの施設も9~10時が空いているので、じっくり見たい施設は朝イチをお勧めする。

 

クラフトビールショップ「フウタズ」
クラフトビールを飲みに行ったのだが、目がメニューに釘付けになってしまった。
あまりに魅惑的なメニューで、二日連続で行こうかと思ったが、二日連続で来た客とはより話さねばならない感じがするし、お店の方も観光客と喋りたくない時節ではなかろうか……と思い、取りやめた。飲食時に使えるマスクの開発が待たれる。

 

内灘海岸
金沢駅から電車で15分、駅から歩いて15分の場所にある。砂浜の異常に広い、誰もいないビーチ。刺さる人には刺さると思われる。
日暮れ頃になると車が砂浜にガンガン入ってきて(これは見たことのない風景だった)、サンセット観覧と相成るが、それも10台くらいである。近くにセリアの入ったマックスバリュがあり、お手洗いも借りられる。

 

 

 

来世の夢

 旅の準備は、死に支度のようだと思う。
 冷蔵庫から痛みやすいものを一掃する。普段は出しっぱなしにしておく鍋をきちんとしまう。長い移動にそなえて、風呂に入っておく。掃除をする。持ち物から、わずかなものだけを選り出して、持っていく。
 そんなことを考えていたせいか、早朝、死ぬ夢をみた。慣習で、死ぬものと決まっていて、殺されるのである。死ぬ前に猶予を貰ってスマートフォンを触り、短い覚え書きを五行、webの海に流した。来世これを見つけ出して書こうと思ったのである。
 書いているうちに死にたくなくなって、死にたくないと言うと、殺された。

 目を覚まして、今世でやれ、と思ったので、書いている。

花火のない夜

 

 

 2020年の6月1日は月曜日で、20時から5分間、どこだかわからない場所で、花火が上がるということだった。

 そのとき住んでいた家の近くには、花火大会の会場になる場所が二箇所くらいあった。もしも花火がそこから上がるなら、見えはしないにしろ、音が聞こえるはずだった。20時になって窓を開けると小雨が降っていた。ベランダとは名ばかりの、幅のせまいでっぱりの上を、ねこの足がたしたしと歩くみたいに、まばらな雨粒が叩いていた。

 他には何の音もしなかった。湿った、冷たい夜風が、丈の長いカーテンを丸く膨らませた。花火のない夜だ。きっかり5分間窓をあけて、閉めた。

 届いたばかりのスナップえんどうを茹で、COEDOの毬花を開けた。一時間半かけて『東京奇譚集』を読んだ。ずいぶん昔から本棚にあるから、読んだこともあるはずなのだが、内容は覚えていなかった。

 ところで、私は小説というものを、究極的には人間を救済するプロセスとして捉えている。否応ない時間の流れや、抗いようもなく重い現実や、あるいは人間そのものから、なにものかを切り離して固定すること。フィクションという頑丈な檻のなかに閉じ込めて侵食を逃れること。

 でも、もっと根深い、いやらしい、冷や汗のでるようなものと対応しているのかもしれないなと、そのときには思った。それが何かは、わからない。

 

 恥ずかしい話だが、仕事のない日で、一日中寝ていた。朝の5時に空腹で起き、ごみを出したりゆうべの読書の続きをしたりしてから、7時に食事をした。ピーマンと豚ひき肉をしょうゆ味で炒めてスパゲッティと混ぜ、おかかを振った。食べると落ち着いて、それから眠った。

 昼に目が覚めるとまたお腹が空いていた。薄手のお焼きのようなものをいくつか作って食べ、昼間から缶酎ハイを飲んだ。勢い、ネット銀行で外貨を売り(その日の中ではいいタイミングで手放した、今になって思えば)、また眠って、19時に起きた。

 起きるとずいぶん頭がすっきりしていた。前日にすこし根を詰めていたから、疲れがあったのだろうか。LINEの返事をしたり、冷蔵庫のなかで在庫過剰になったものを冷凍庫に詰めかえたりしていると、20時になった。花火のない夜がきた。花火のない夜は、とても穏やかで慕わしいものだった。

 

 

 

うpした後どうでもよくなってしまう問題

 

 

 うpした後、どうでもよくなってしまうのである。

 

 不真面目な二次創作とはいえ、書いて見せる、ということを一応の習慣にしている。書き上がるとpixivへ載せる。あるいは印刷して薄い本にする。別に書きっぱなしにしたっていいのだが、そうしないともったいないような気もする。

 遅筆の私にとって、たとえ一万字でも二万字でも、書いて書き終えるというのは相当に労力のかかることだ(この分量を書くのに90分かかっている)。書き続けるには情熱が要る。「どうでもよくない」と思って取り組むから、どうにかこうにか書き上がるのだ。

 それを人目に触れるものにした瞬間、しかし、今までかけていた情熱がふっとどこかへ行ってしまう。熱意を持って書き、直し、削ってきたはずの話が、三つで78円の充填豆腐のうちのひとパック、くらいなものにしか感じられなくなる。人目につくところに置いているから、好悪それぞれの反応があるのだが、それを正しい感激や悲しみでもって受け止めることもできない。どうでもよくなってしまうのである。このどうでもよさは、私の場合、出来上がった瞬間にピークを迎える。

 

 書いたあと内容を忘れてしまう、愛着を失う、というのは、小説家のエッセイの中にもよく見る話だ。その物語へしがみつくために使っていた握力が、手の中から送り出した途端にいきなり消え失せてしまう。書いて見せる、というフローの終わり近くにそういう穴がある。「構想を話すと書き上げられなくなる」というのも、きっと似たような穴に落ちているのだろう。

 それはヨットをつくって海へ浮かべることに似ている。自前のドックに資材を運び込み、船底をつくり、船室をつくり、マストを立て、舵をとりつける。帆を織って張る。名前をつける。ドックには作りかけのヨットがごろごろしているが、それほど多くはない。どれも愛着のある形だ。

 いよいよドックの扉をひらき、完成したヨットを光さす大洋へ押し出す。すると突然、どうしたことか、なんの変哲もないヨットを送り出してしまったことに気がつく。なぜだろう、とあたりを見回せば、海上にはさまざまなヨットが並んでいる。あれと並列されたからだろうか、と思い至る。

 ヨットはそれこそいくらでもある。私のヨットがあろうとなかろうと、どんな形をしていようと、本質的にはどうでもいいのだなということが、まぶしい光の下に可視化されている。自分だけのドックを出て初めて、そのことが肌身にしみる。

 物語なんて本質的にはどうでもいいものですよね、という極論をぶっているわけではない。そのヨットを自分だけのドックのような場所へ迎え入れる役割は、たぶん読む人へ移るのだと思う。大きく開けたスペースへ見知らぬ物語を迎え入れ、それそのものの美しさや、あるいはそれによって立てられた波や風を感じることの喜びは、ドックの中にあった情熱と対になるものだ。

 

 そうやってヨットを送り出したあと、私の頭にはヘリウムガスのようなものが満ちている。本質的どうでもよさという比重の軽いガスだ。私はしばらく書かないでいる自由を味わい、ふと見つけた資材を、ごく気楽にドックへと運び込む。船底をつくり、船室をつくり、マストを立て、舵をとりつける。帆を織って張る。

 その頃にはもう、どうでもいい、などと思うことはできない。この話はどうなりたいのか、どうなるべきなのか、何を語ろうとしているのか、目をかっぴらいて取っ組み合い、ささくれを削り、素材をさしかえ、舳先のかざりをさまざまに取り替えてみる。(もちろんそうしたからっていいヨットができるわけではない、悲しいことですが……。)

 ともかく完成した話をpixivへ載せる。あるいは印刷して薄い本にする。ヨットは光さす大洋へとこぎだしていく。その途端、またしても、本質的どうでもよさが巨大な波のようにやってきて体を押し流していく。うすぐらい部屋の隅で体育座りをして、消しゴムやら何やらを壁へ向かって投げつけたいような気分になる。

 うpした後どうでもよくなってしまうのだが、どうしてか書いて見せることを止められずにいる。ふしぎなことだと思う。

 

 

 

ふきのとうを剥く(2020年4月14日夜)

 

 

 

 ふきのとうの花を買った。大小とりまぜて二十個ほどで、四百円弱。高いのか安いのか、買いつけないものは、どうもよくわからない。

 ワールドワイドウェブへ接続して食べ方を検索する。紙面や画面の上で見たことはあるが、手に持つのも、口へ入れるのも初めてだ。雪の下から顔をだすこと、新春の食物であること、その見た目、ほろ苦く、油に合うこと。チャパティや、シャシリクや、あるいはスターゲイザーパイと同じフィクショナルなレイヤーから、ふきのとうが下りてくる。こういう経験は好きだ。若返るような心地がある。

 子、曰く、汚れた葉があれば取り去るべし。残った葉はひまわりの花のようにひらき、片栗粉をはたいて、小麦粉と水の衣をつけて170-180度で揚げるべし。

 届いたふきのとうを見ると、いかにも可食部ではなさそうな、かたくしわのよった葉に覆われていた。形としてはほおずきの実にちかい。とがった先端がアスパラガスのように紫がかっていて美しい。さわると泥がついている。ははあ、これが「汚れた葉」だな、と思いながら、きのこの泥を拭うようにして剥いていく。完全に閉じた形ではないから、泥は奥の方にまでしつこく達している。

 果たしてどこまで剥けばいいのか、と不承不承剥いたところへ正解が顔を出した。世間ずれのしていない、やわらかい、黄緑色の小さな葉が、可食部と呼ぶには悲しすぎるような形で花を覆っていた。

 やわい、幼い、透きとおるような葉を、ワールドワイドウェブ(の向こうでこちこちと書いている冨田ただすけ)の言うとおりに、花から剥がして、折りこむようにひらく。花のつけねのかたそうなところを切り落とし、粉をつけ、衣をまとわせ、熱した油の中へしずませる。やわらかな葉が熱と気流を受けて反りかえりながら開いていく。ああうつくしいな、と思う。蓮のようだな、とも思う。

 爾して、揚げたてのふきのとうを酔鯨でやった。ほろ苦くて油と合って春の味がした。若い女のような味だと思った。

 食べ終わって台所へ戻るとさきほど剥いた非可食部の葉がうすみどり色に山のように折り重なっていた。わずかに紫がかった先端へしつこく泥が絡みついて、それは花が散ったあとの地面に似ていた。